昭和6(1931)年1月の「師範学校規程」により、師範学校第二部の修業年限が2年間に延長された。これにより、師範学校は、高等小学校2年から接続する修業年限5年の本科第一部、中等学校5年(高等女学校は4年制もあり)から接続する修業年限2年の本科第二部、そして本科修了後に入学する修業年限1年の専攻科という3つの構造をもつこととなった。近代日本の学校制度の体系は、中等教育段階以上が大きく2分されていた。そのひとつは、帝国大学のような高等専門教育へ連なる体系であり、もうひとつは、小学校から中等教育段階で枝分かれする「国民教育体系」であった。そして、師範学校はこの後者のひとつとして、つまり、あくまでも中等教育機関として「高等専門教育の系と峻別された[国民教育体系]における頂点に位置していた」のである。それは、実業学校や実業補習学校・青年学校と異なり、師範学校からは高等師範学校・女子高等師範学校への道が開かれていたからである。
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